近代における短歌-明治の歌人たち : 「日本および日本人の再発見-近代化への問いかけ」というテーマに応じて、旧派歌壇(三条西季知、八田知紀)の作品、落合直文、与謝野鉄幹、与謝野晶子、正岡子規などの作品を見ながら、明治期の短歌界を概観した小文です。 埼玉県を代表する景勝地のひとつ、「嵐山渓谷」は、岩畳と槻川の清流・周囲の木々が織り成すみごとな景観と自然環境を持った、嵐山町の宝です。, 槻川は、外秩父山地の堂平山に端を発し、東秩父の山間を抜け、小川町を経て嵐山町の遠山地区に流れ込みます。ここで岩場によって流路を狭められ、都幾川と合流する二瀬の手前までがみごとな渓流となっています。特に大平山から伸びた細原と呼ばれるところでは、流路が大きく180度転じて半島状の独特な地形をつくりだしています。, 新型コロナウイルス感染症の状況を鑑みて、2020年11月開催予定の「嵐山渓谷紅葉まつり」ならび「嵐山渓谷紅葉まつりイベント ウオーク&グルメ」の開催中止いたします。ご参加を楽しみにしてくださっていたお客様、予定されていた出店者様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。, 嵐山渓谷はその地形的な特徴から、秩父の長瀞岩畳に例えて“新長瀞”と呼ばれていたこともあるようですが、昭和3年(1928)秋、日本で初めての林学博士・本多静六博士が当地を訪れ、渓谷の最下流部にある槻川橋より渓谷と周辺の紅葉や赤松林の美しい景観を眺め、京都の嵐山の風景によく似ているとのことで、“武蔵国の嵐山(むさしのくにのあらしやま)”と命名されたということです。それが大変評判になり、多数の観光客が訪れます。, このころ渓谷周辺には料理旅館の「松月楼」がオープンし、埼玉を代表する景勝地をひとめ見ようと、多くの人々が訪れるようになりました。東武東上線の菅谷駅も昭和10年(1935)には「武蔵嵐山駅」に改名され、駅から観光客の長い列ができたほどです。, そんななか、昭和14年(1939)6月に当地をひとりの女性歌人が訪れます。現代短歌の道を開いた代表歌人「与謝野晶子」です。彼女は娘の藤子さんと共に訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を詠いあげました。, 「比企の渓 槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち竝(なら)びたる 山の しののめ」  与謝野晶子がスペイン風邪で子供を亡くしたという、誤った情報が一時期ネットで出回りました。亡くなったのではなくて晶子自身と家族がかかったということです。晶子のスペイン風邪に関するエピソード、与謝野晶子の子どもを詠んだ短歌をご紹介します。 官能的な「みだれ髪」で有名な与謝野晶子。その時代にはまだ女性が官能小説を書くという概念がなかった時代です。のちに夫となる鉄幹と出会い、女性として大きく羽ばたいていく与謝野晶子とは、いったいどういう人物だったのでしょうか。, 文学の道に進もうと和歌の投稿をしたり文学会に参加し、そこで与謝野鉄幹と出会います。, 与謝野晶子は大正後半から昭和にかけて国内を旅しながら歌を詠んでいます。現在では与謝野晶子が訪れた各地に歌碑が建立されています。実にその数二百五十ヶ所余りというのです。, 温泉地で有名な場所は国内でもたくさんありますが、与謝野晶子は温泉とあらば何処へでも行く、その当時まだ道が出来てなかった秘湯にも足を運んでいたようです。晶子が旅した温泉地の軌跡を紹介します。, 与謝野晶子の夫である与謝野鉄幹は鹿児島県姶良市にある加治木町にて幼少期を過ごしたといいます。, 与謝野晶子は昭和10年(1935年)6月末から7月にかけて、山形県鶴岡市にある名湯「温海温泉」を訪れていました。, 青森県板柳町では「幻の銀杏」と題した詩を詠い、その詩を刻んだ歌碑が建立されました。, 滋賀県高島市にある白鬚神社にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。, 大分県竹田市にある長湯温泉にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。, 俵屋宗達は「風神雷神図屏風」だけではない? 国宝級がズラリ揃う美しい「琳派」の世界. !おすすめ短歌作品集を紹介!, 【修学旅行の短歌 おすすめ20選】京都&奈良編!!素人のオリジナル短歌作品集を紹介!.

2020年 嵐山渓谷紅葉まつり ならびに 紅葉まつりイベント「ウオーク&グルメ」中止のお知らせ. 【信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など. 与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさのあきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。 旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。 【あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など. 与謝野晶子(よさのあきこ)といえば、女流作家ですね。 明治から昭和期に大活躍した作家で、「みだれ髪」が有名です。 今回、与謝野晶子のかんたんな経歴、特に有名な短歌、代表作品は?について、紹介していきますよ。 目次 1 [&he !徹底紹介【意味&解説付き】, 【東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる】徹底解説! ‚Ɉ³”—‚³‚ê‚Ä‚¢‚­’Z‰Ì‚ÌŠë‹@Š´‚ðq‚ׂ½B“¯‚¶–Å–S˜_ŽÒ‚Å‚ ‚é‘í–؂́A‚µ‚©‚µu‰Ì‚Æ‚¢‚ÓŽŒ`‚ðŽ‚Â‚Ä‚î‚é‚Æ‚¢‚Ó‚±‚Ƃ́A‰äX“ú–{l‚̏­‚µ‚µ‚©Ž‚½‚È‚¢K•Ÿ‚Ì‚¤‚¿‚̈ê‚‚¾v‚Ɖž‚¦AŽÄM‚̐«‹}‚È–Å–S˜_‚ÉˆÙ‚ð¥‚¦‚½B‚±‚¤‚µ‚½’Z‰Ì–Å–S˜_‚ð‚ß‚®‚é˜_‘ˆ‚È‚Ç‚É‚³‚ç‚È‚é“WŠJ‚𑣂³‚ê‚È‚ª‚çA’Z‰Ì‚́A‚»‚µ‚đ吳‚Æ‚¢‚¤Žž‘ã‚ðŒ}‚¦‚é‚Ì‚Å‚ ‚éB. 与謝野晶子の育った大阪府堺市は、現在は埋め立てられていますが、その昔は海が広がっていました。 ... 【no.14 】正岡子規 (竹 ... 【春の短歌 20選】高校生向け! All Rights Reserved. !意味や表現技法・句切れ・倒置法など. 与謝野晶子は、短歌の歌集「みだれ髪」の他にも、詩「君死にたまふことなかれ」や多数の文章を残した、近代短歌を代表する歌人です。与謝野晶子の短歌の代表作品を、現代語訳と共に示します。 (しののめ=夜明けの薄明かり), 大変賑わった「武蔵嵐山」でしたが、戦後は松月楼も本格的に営業されず、経営者が変わって「一平荘」と改名され神楽坂の割烹の嵐山町支店として営業しましたが、ついに閉店してしまいます。しかし、時代と共に景勝地を訪れる人々はまた増えてきました。その一帯は、さいたま緑のトラスト基金と嵐山町で買収し、緑のトラスト保全第3号地として整備、管理をしています。休日ともなれば、槻川橋下の「嵐山渓谷バーベキュー場」にはたくさんの人が訪れます。駐車場にひしめく車の姿は、かつて菅谷駅から続いていた人々の行列を連想させます。, 写真:与謝野晶子歌碑に向かう途中の散策路。嵐山渓谷の周辺は遊歩道が整備されているので安心して散策ができます。, 写真:与謝野晶子歌碑近くのすすきが原。秋になると日差しを受けて黄金色に輝きます。ここにはかつて「一平荘」がありました。往時の様子が偲ばれます。.

作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介! (与謝野晶子 出典:Wikipedia) 与謝野晶子( 1878 年~ 1942 年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。 古来より人々の心を映し、親しまれてきた日本の伝統文学である「短歌」。 「五・七・五・七・七」の三十一文字で、日本の美しい自然や歌人の心情... 中学生のみなさん、冬休みの課題で短歌作りが出て困っていませんか? 短歌は5・7・5・7・7の言葉で作る短い詩ですが俳句のように「季語」が... 【有名短歌 厳選50選】近代(現代)から昔の歌人の句まで!

日本最古の歌集『万葉集』。4500首以上の歌が全20巻に収められている長大な歌集です。   成立は、奈良時代末期。この歌集の特徴の一つは、... 【夏の有名短歌 30選】近代(現代)短歌から昔の歌人の句(和歌)まで!!徹底紹介!. そんななか、昭和14年(1939)6月に当地をひとりの女性歌人が訪れます。現代短歌の道を開いた代表歌人「与謝野晶子」です。彼女は娘の藤子さんと共に訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を詠いあげました。 運営会社Copyright (c) SHUMIJIKAN. Copyright © 2009-2019 嵐山町観光協会 Ranzan Tourism Association All rights reserved. !意味や表現技法・句切れなど, 【つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて】徹底解説! 【夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど. 官能的な「みだれ髪」で有名な与謝野晶子。その時代にはまだ女性が官能小説を書くという概念がなかった時代です。のちに夫となる鉄幹と出会い、女性として大きく羽ばたいていく与謝野晶子とは、いったいどういう人物だったのでしょうか。 短歌とは、日本の詩歌の形式のひとつで、5・5・5・7・7の31音からなる短い詩です。, 短歌の歴史は長く、最初に短歌が作られたのは飛鳥時代と言われています。明治時代から短歌という呼び名が定着しましたが、それまでは和歌と呼ばれていました。, 昔の短歌とは、いわゆる「和歌」と呼ばれている万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の時代に作られた短歌のことです。, 意味:東の野に陽炎(かげろう)が立つのが見えて振り返ってみると、月は西に傾いてしまった。, この歌は、天皇の即位を詠んだものであるとも言われており、立ち上る陽炎が新天皇を、傾く月が前天皇のことを表しています。, 柿本人麻呂は飛鳥時代の有名な歌人で、和歌が上達するようにということから、人麻呂を神様として祀る神社も各地に建てられています。, 意味:桜の花の色は、春の雨が降っている間に色あせてしまった。ちょうど私の美貌が、恋に悩むうちに衰えてしまったように。, 古典では、花とだけ書かれている場合は桜の花のことを指します。すぐに散ってしまう桜の花と、自らの美しさのはかなさを重ねています。, 小野小町は、平安初期の女流歌人として最も有名な人物で、彼女は絶世の美女だと言われており、数々の伝説を残しています。, 意味:春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。 私がいなくても、春を忘れないでいておくれ。, 意味:この世界は(まるで)私のためのものであるように思う。満月に欠ける部分がないように、私は完全に満ち足りているから。, 意味:秋が来たのだと目にははっきりと見えないけれども、風の音で秋が来たことに気づいて驚いてしまった。, 『 秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数えれば 七種(ななくさ)の花 』, 意味:五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔親しくしていた人が袖に薫(た)きしめていたお香の香がして懐かしいことだ。, 意味:奥深い山で、紅葉を踏み分けながら妻を想って鳴いている鹿の声がする。その声を聞くと、秋と言う季節が人恋しく、物悲しいものに思える。, この歌は、古今和歌集の中では“詠み人知らず”となっています。和歌の世界では、鹿が鳴くと言う言葉は“雄の鹿が妻(雌の鹿)を想って鳴く”ことだと考えられていました。, 奥山とは人里離れた奥深い山のことをさし、妻を求めて鳴いている鹿の声に、遠く離れた妻や恋人を想い慕っている感情を重ねた恋の歌です。, 意味:秋の田に作られた仮の小屋は、屋根の苫の目が粗いので、私の着物の袖は露に濡れ続けている。, 苫(とま)とは、屋根に敷いてある草のことで、この歌では“刈り穂”と“かり庵(ほ)”が掛詞になっています。掛詞とは修辞法のひとつで、ひとつの言葉にふたつ以上の意味をもたせる技法のことです。, 意味:天を仰いでみれば見える月は、春日にある三笠の山にあるものと同じなのだろうか。, 『 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな 』, 意味:せっかく久しぶりに会えたのに、それがあなただとわかるかどうかの間に帰ってしまわれた。まるで雲間に隠れてしまう夜半の月のように。, 『 夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀るとも よに逢坂(あふさか)の 関はゆるさじ 』, 作者の山部赤人(やまべのあかひと)は奈良時代の宮廷歌人です。身分は低かったようですが、優れた歌を多く詠み、柿本人麻呂と並んで“歌聖”と呼ばれています。, 意味:太古の昔である神々の時代にも聞いたことがないことだ。竜田川の水面に紅葉が落ちて、まるで絞り染めのように見えるとは。, 『 あかねさす 紫草野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖ふる  』, 意味:あかねさす紫草の咲く野を行き、あなたは野を行くけれど、私に袖をお振りになるのを、野守が見とがめはしないでしょうか。, 意味:紫草のように美しいあなたを憎いと思うなら、どうして人妻であるあなたを恋い慕うだろうか。, 当時、夫婦や恋人であっても男女は別居していて、男性が女性の家を訪ねていくという習わしがありました。“妹”とはきょうだい関係にあるというわけではなく、恋人や愛しい人のことをこう呼びました。また、“吾”とは、私、という意味です。, 意味:私を待っていた濡れたとおっしゃる、その雫になって、あなたに寄り添いたかったです。, 枕詞である、あしひきという言葉が入れられています。男女はこうして、恋する気持ちを和歌に乗せ、お互いの気持ちを送り合っていたのです。, 意味:あなたがいないのを嘆きながら、一人で眠る夜、そんな夜が明けるまでの時間がどれほど長いものか、あなたはお分かりにならないでしょう。, 意味:人の方は心が変わってしまったかどうか、わかりませんが、昔から知っているこの里には、梅の花が昔と変わらない形で咲いています。, 意味:月を見上げるといろいろな思いが溢れて悲しくなることだ。私ひとりの秋ではないというのに。, 意味:あなたがいらっしゃらないとわかっていたら、ためらわずに寝てしまっていたのに。お待ちしている間に夜が明けて、月が傾いていくのを見てしまいましたわ。, 意味:これがあの、京から出る人も京に帰る人も、知る人も他人も、みんなが別れ、そしてここで出会うという有名な逢坂の関なのだなあ。, 意味:その子は二十歳である。櫛に流れる黒髪は、誇らしい青春を象徴していて非常に美しい。, 恋をしている自分の美しさを、自己賛美した歌として知られています。当時、与謝野晶子は23歳で、のちに夫となる与謝野鉄幹との恋の最中でした。, 意味:海が恋しい。遠く伝わる海の波音を聞きながら、少女から娘へと育っていったその父母の家が。, 意味:この柔らかい肌の、熱い血のたぎりに触れてもみないで、寂しくはないのですか。道学を語っているあなた。, 意味:ふざけて母親を背負ってみると、そのあまりの軽さに涙が出てきてしまい、ほとんど歩けなくなってしまった。, ふざけて母親を背負う、という行為の軽さと、予想もしなかったほどに母親が軽く小さくなってしまったことの重みが対比されています。, 作者は、母親にたくさん苦労をかけてしまったことを感じ入り、思わず涙がこぼれてしまったのでしょう。, 意味:命の宿っていない砂の存在というのは、なんと悲しいものだろう。砂を握ってみれば、さらさらと指のあいだからこぼれてゆくばかりだ。, 意味:白鳥は寂しくないのだろうか。空の青にも海の青にも染まらずに、ゆらゆらと空をただよっている。, 空と海の青色と、白鳥の白色の対比が美しい一首です。広い空の中、一点の白が目に浮かびます。, 意味:これから先、いったい幾つの山や川を越えていったら、寂しさが尽き果てる国へ辿りつくだろうか。その思いを胸に、今日も旅をする。, また、「うつろふ」には、氷の解けた湖面に三日月の姿(影)が「映って」いることと、水に映し出された三日月が、波がおこることによりゆらゆらと「移って」いることの、2つの意味合いが重ねられています。, 意味:焦げたようにあかあかと、夕焼けの輝きの極みにある空の下、まさに今凍ろうとしている湖の、なんと静かなことだろうか。, 意味:この世界に生まれ、あっという間に死んでしまう短い命の蛍たちが、夜の湖の表面をうつろうように光を放っている。, 意味:いちはつの花が美しく咲き始めたのが見えるが、それは私の目には、生涯最後の春が去ろうとしているように見えることだ。, 意味:くれない色の薔薇の芽が二尺ほど伸びてきたので、まだやわらかいその棘を見ていると、春の雨が優しく降ってきたことだ。, 意味:この足さえ立てば、北インドのヒマラヤ山脈のエベレストにある雪を食べたいものだが。, 意味:故郷の家を留守にしたままですが、庭に咲く菫の花がわが家の垣根を守ってくれているでしょう。, 意味:出勤のため、急いで出てゆく朝の街角に、もうずいぶん前から百日紅の花が咲いている。, 朝の時間帯は忙しく、周りの景色をゆっくりと見ることもままならないでしょうが、そんな中で鮮やかな百日紅の花の色は、作者の心に強い印象を残していたのでしょう。, 意味:枇杷の花が、冬枯れしている木々の中で香っている。この世ではもう見納めになるかもしれないので、よく見ておこう。, 意味:東北の村にひとり住む母、そのいのちがあるうちに、一目見よう、一目見ようとただひたすらに急いでいる。, 意味:体も心も冷え切ってしまうようなとき、何気なく「寒いね」と話しかけると、「寒いね」とそのまま返してくれる人が身近にいることは、当たり前のように思えて、幸せなことだ。, 意味:過ぎ去った楽しい夏の思い出の一つのようにも思えるので、麦わら帽子がへこんでいるのもそのままにしておきたい、そんな気持ちである。, 意味:この味がいいとあなたが言ったから、私にとって7月6日はサラダ記念日になったのよ。, 意味:雨つぶが道一面を濡らし、雨つぶの色に染め上げて、そこにはまるで宇泡のように、宇宙がひろがっていくみたいだ。, 短歌に詠まれているテーマには限りがなく、多くの歌人が色々なものを題材にして短歌を作っています。, まだ短歌が和歌と呼ばれていた時代に詠まれたものから、明治時代以降の近代・現代短歌まで、幅広い時代の歌をご紹介しますので、ぜひ、自分だけのお気に入りの一首を見つけてください!, 平安時代、藤原一族が隆盛を極めていた頃に詠まれた一首です。一見、おごり高ぶっているように感じる歌ですが、実は欠けているところのない「満月」とは、道長の周りの人々のことを指し、周囲に感謝している気持ちが込められた歌である、とも言われています。, 目で季節の移ろいを感じるのではなく、耳で秋の到来を感じる、というとても風流な一首です。作者の藤原敏行は、平安時代に活躍した歌人です。, この歌は、秋の七草の由来になった歌だと言われています。秋の七草とは、萩、ススキ、葛、撫子、女郎花, 天の香具山とは、現在の奈良県橿原市にある低い山のことで、この山は天から降りてきたという言い伝えがあります。照り渡った夏の青空に、白い衣が干してあるというさわやかな一首です。, 三笠の山とは、奈良県にある春日大社の後方に位置する山のことです。「かも」は奈良時代に使われていた、詠嘆を表す助詞でした。作者の阿倍仲麻呂は、唐に居て、故郷の三笠の山に登る月を懐かしんでいるのです。, この歌の中で言う「あなた」は、紫式部の幼友達のことを指します。「雲隠れにし」という言葉に、すぐに見えなくなってしまった夜半の月と、友達のことを重ねて表現しています。, 夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴きまねをして人をだまそうとしても、決して逢いませんよ。, 竜田川を流れていく紅葉を、しぼり染めの織物に例えた美しい一首で、色鮮やかな紅葉のくれない色が目に浮かんでくるようです。, 額田王から大海人皇子へ送られた歌です。袖を振るというのは、当時の呪術的な行為のひとつで、恋しい人の魂を自分のほうへ引き寄せるという恋の仕草のことを表しています。この歌を詠んだ頃、額田王は天智天皇の妻でしたが、その前は大海人皇子の恋人であり、一女をもうけていました。, 先ほどの額田王の歌に対する返歌です。少しドキリとしてしまいそうなシチュエーションですが、実はこの歌が詠まれた頃、大海人皇子も額田王もともに高齢で、過去の恋を引き合いに出して、戯れに詠んだ歌だと言われています。, 右大将道綱母が書いたとされる『蜻蛉日記』の中に出てくる一首です。夫である藤原兼家との仲が上手くいっておらず、なかなか訪ねてこない夫に向かって詠まれた一首です。, 作者の紀貫之は『土佐日記』の作者としても有名です。そんな紀貫之が、久々に立ち寄った土地で馴染みの宿屋に行くと、宿屋の主人に、それとなく心変わりをとがめられ、その時に返したのがこの和歌であると言われています。機転が利いた面白い一首ですね。, 「やすらう」とは、ためらう、ぐずぐずする、という意味です。恋しい人がやってくるのをただ待つだけの悲しい歌ではなく、恋人に一言物申すような雰囲気のあるからりとした一首です。作者の赤染衛門は、紫式部や清少納言など、多くの才女たちと交流がありました。, 逢坂の関は、先ほどの清少納言の歌にも詠まれていますね。単に人が多く行きかう関所のことを詠んだだけではなく、そこに人生の中の人との出会いを重ね合わせて詠んだ歌なのではないか、と言われています。, この歌は、「海恋し」で意味が切れる初句切れになっています。そのことでインパクトのある一首になっています。「少女, この歌は、女性が恋愛に対して自己表現をすることがなかった当時の社会において、センセーションを巻き起こしたと言われている一首です。詠われている「君」とは誰のことなのか公表されていませんが、当時、すでに妻子が居た与謝野鉄幹に向けて詠まれたのではないか、と言われています。, この歌は歌集『一握の砂』の冒頭に書かれています。東海の小島、とは実際にある情景ではなく、これから歌を記し始めることは、作者にとって、まるで「蟹と戯れる」ようなことであると表現しているのです。, この歌は、作者の石川啄木が、短歌を詠む自分自身のことを「砂」にたとえた歌であると言われています。まるで、命を持たず、ただ指のあいだからこぼれていくだけの砂のように、自分の存在は悲しいものだと歌っているのです。ですが、石川啄木の短歌は、現在でも多くの人に愛読されています。, この歌は若山牧水の代表作のひとつで、カール・ブッセという詩人の『山のあなた』という詩と似ていると言われています。どちらも、満たされぬ想いを消すために旅を続けているが、悲しみは消えないという嘆きを歌にしたものです。, 燃えるような夕焼けの赤色、氷行く湖の青色が見事な対比になっています。その雄大なふたつの自然が、この歌をダイナミックにしていることがわかりますね。, 「そぞろに」という表現に、作者の心の機微が表れています。若水とは、元日の朝、その年にはじめて汲む水のことです。この若水を飲むと、, 枇杷の花は小さく、白っぽい花をつけるので、冬景色の中ではあまり目立たない、ささやかな花です。この歌は作者の晩年に詠まれており、普段は目に留まらないようなものを、生きているうちにきちんと見ておこう、という気持ちが伝わってきます。, 歌の中に詠まれている生母とは、斎藤茂吉が中学生の頃に東京へと養子に出されてからはめったに会うことがなかったそうです。現代とは違い、飛行機や新幹線がなかったので、危篤の母の元へ急ぐ気持ちは、とても強かったことでしょう。一目見ん、一目見んとぞ…と反復法が使われています。, 最上川とは、山形県内に流れる日本でいちばん長い川です。この歌は、齋藤茂吉の代表作のひとつとして知られています。第二次世界大戦の時、戦争に協力する立場で作歌をしていたことから、戦争犯罪者として追及されることを恐れ、山形県に滞在していた時に詠んだ歌です。, この短歌は国語の教科書にも掲載されており、冬の短歌の定番の一首とも言えるでしょう。「あたたかさ」で終わる体言止めの一首で、そのあたたかさは身体の温度ではなく、心が温まっている、という意味として表現されています。, 過ぎ去った夏の思い出を詠んだ一首です。この歌は寺山修司が詠んだ短歌「夏坊の へこみやすきを 膝にのせて わが放浪は バスになじみき」に影響を受けて詠まれたものです。, 俵万智の歌集『サラダ記念日』は、それまでの書き言葉で詠まれた短歌とは違い、話し言葉で詠まれていたので“口語短歌”として高く評価されました。また、キャッチーである「○○記念日」という言葉は、短歌の世界以外にも多くパロディされました。, まるで、歌の歌詞のようにキャッチーで、ロマンチックな一首です。雨粒、という小さな粒子から、宇宙という大きな空間までを、一首の短歌に取り入れているという、スケールの大きな短歌です。, 【文化祭をテーマにした短歌 20選】中学生&高校生向け!

そんななか、昭和14年(1939)6月に当地をひとりの女性歌人が訪れます。現代短歌の道を開いた代表歌人「与謝野晶子」です。彼女は娘の藤子さんと共に訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を詠いあげました。 !意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など, 【東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ】徹底解説! 与謝野晶子が熊本を訪れた際に、球磨川を読んだ短歌が朝日新聞の天声人語で紹介されていました。 与謝野晶子は鉄幹と共に、昭和7年に熊本を訪れています。 熊本の人への応援の気持ちを込めて、与謝野晶子の短歌 … 「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」与謝野晶子の短歌、教科書に掲載されている与謝野晶子の有名な短歌代表作品の意味と訳,文法,解説,修辞など表現技法を鑑賞します。